浜益の紹介
■かつては陸の孤島だった浜益
北海道石狩市浜益区は、もともと「浜益村」でした。平成の大合併の流れに乗り、2005年10月1日に石狩市・厚田村と合併し石狩市浜益区となりました。
その昔、浜益はニシン漁で栄えました。まだ道路が整備されていなかった時代、交通手段は船で、商売相手は小樽だったそう。その名残で、今でも小樽の業者さんと取引しているところもあります。陸路を行くには、南は濃昼(ごきびる)山道、北は増毛(ましけ)山道という険しい道を行かなければならなかったため、かつては「陸の孤島」とも呼ばれていました。厳しいのは地形だけではありません。冬は浜風で雪が舞い上がり渦を巻き、呼吸ができなくなるほどの風とともに襲いかかってきます。目の前は真っ白で、どこに向かって歩いているかもわからなくなってしまうのです。車社会の現在でもこの暴風雪は恐ろしいのですから、歩くしか手段のなかった時代にはどれだけ大変だったか。
それでもこの地で暮らしを続けてきた人たちがいます。そして、この先の未来にも浜益を残していきたいと思い、本協議会を立ち上げました。私たちにはもう、10年後にこの地で暮らせる保証がありません。高齢化は進み人口は流出し、コミュニティや仕事を維持していくことすら困難になってきています。浜益に限った問題ではないと思いますが、未来のためには自分たちが動かなければならない時代です。
■海と山に囲まれ自然豊かな地域
交通的にはとても厳しい状況下であった浜益ですが、海と山に囲まれた土地柄のおかげで、食べ物は豊富です。魚やタコ、ウニ・ナマコ、ホタテの養殖など海産資源が豊富。大シケのときに打ち上げられる「ルッツ」は浜益ならではの食べ物で、テレビやネットで取り上げられることもあります。また浜益は土の質が良いらしく、おいしいお米や野菜も作られています。果樹農家もあり、明治時代に無償で配られたという果樹の苗木は100年以上たった今でも美味しい実をつけています。
登山のできる黄金山に、海水浴を楽しめる海、芝生が整備されたキャンプ場、そして遊びの疲れを癒してくれる浜益温泉。高齢化が進み人口は減少、不便はもちろんありますが、そんなの気にならないくらいにたくさんの幸せがギュッと詰まった地域です。
■よそ者を「旅の人」と呼ぶ人々
浜益の人たち、特に年配の人たちは、よそから来た人のことを「旅の人」と呼びます。「よそ者」とは言わないのです。見知らぬ人が困っていれば、助けます。この呼び方、いいと思いませんか?あたたかい感じしませんか?
この言葉には、浜益にたくさんの人が行きかっていた歴史が詰まっている気がするのです。ニシン漁の歴史のあとにも、通過点として通りすがる人、はたまたトンネル工事や電話線設置工事など近代化のため浜益に仕事に来た人なんかも多くいました。夏には海水浴客で砂浜が見えないほどだったこともあります。こういうすべてが「旅の人」。昔から、旅の人に優しい地域なのです。
朝市や果物狩り、温泉なんかに行くとそういう気性が分かると思います。モノが美味しいのはもちろんですが、そこにいる人に会いたくて毎年足を運ぶという人も多いですから。浜益に来たときはぜひ地元の人と触れ合ってみてください。
■田舎を楽しむ若者たち
2022年現在、20代の若者がじわじわと増えています。Uターンをはじめ、移住や就職、結婚と理由はそれぞれです。数値で見れば人口は減る一方なのですが、肌感覚では新しい顔が増えているのです。
2017年には、異業種で普段交わることのない若者たちが集まり「浜益わかもん会」を立ち上げました。若者といっても自己申告で気持ちが若ければ何歳でもOK。会員同士の交流を深めるところからスタートし、地域のイベント手伝いや、わかもん会主催の子ども向けイベント、誰でも参加できるスポーツの場づくりなど、マルチに活動しています。会員の「こんなことやってみたい」と、地域の「こんなことやってほしい」をみんなで楽しみながら実現しています。
会員になったから、すべての活動に参加しなければならない、ということはありません。
興味のあるものだけ参加する人もいれば、人が足りないときだけ来てくれる人もいれば、飲み会だけ来てくれる人も。自分の心地良い距離で、ゆるっと、一緒に田舎暮らしを楽しみましょう。
みんなで野菜作り | バドミントンクラブ運営 | ふるさと祭りステージイベント担当 |
■浜益暮らしのガイド
- 2018年07月05日 木曜日 10時20分